今日、ひょんなことから、釧路市で氣功療術院シンメトリーと合気道教室を運営していらっしゃる、”生涯健康クリエイター@石橋たかゆき”さんという方と、メールのやりとりがチャットのようになりまして。
石橋さんに、
「物にも、「いのち」がありますよね。
大切にして、愛情をそそげば、応えてくれますよね。
自分は乗っている身体と心も同じですね。
身体に感謝しないから、時々、爆発するんです。
田中さんには、車に対する愛を感じます。」
と、言っていただけました。
とても嬉しくて、また、車も同じだな、と、思いました。
車の修理でさえ、オーナーのメンタルの状態が、深くかかわってきますから。
車にも自分の体にも、感謝しているといないとで、その後の経過が全く変わってくる気がします。
自分の体に感謝が足りないと、他者の心にも体にも感謝が足りなくなるので人間関係は難しくなりがちなのと同じで、自分の体に感謝が足りないと、結果としてその人が触れる機械や車がどんどん壊れていく、という関係になってしまうのかもしれません。
人間関係の場合、自分が多少間違っててもわがままでも、相手が人間で、かつ器の大きい人なら、特に問題は出なかったりするものですが、機械は正直なので、オーナーの感情から来る操作の粗さやムラ、いつもと違う起伏や緩急等を車が受け止めて理解して吸収してくれる、というような器の大きさは持ち合わせていません。
だから、いつもは愛情たっぷりで、車の立場にたった優しい運転をしている人が、何かの拍子にいつもと違う負荷を車にかける運転をしてしまうと、車はそこに対応できずに壊れたりしてしまうんですかね。
車が変な壊れ方をするときって、大体自分がカリカリしているときだったり、妙にストレスの多いときだったりしませんか?
そして、そういうときって、車以外の自分の持ち物もよく壊れたり、自分の体調も悪くなったりしていませんか?
きっとそんな時は、石橋さんの言う、「自分の身体と心への感謝」のバランスが崩れている時なのかもしれません。
人間ですからメンタルに起伏はあって当たり前。
そんな時にその起伏に素直に沿ってトラブる愛車もまた、ひときわかわいいものかもしれませんが。
僕の場合、いろんなストレスを、車に乗ることで解消していることが多いのですが、若いころはそのストレスをぶつけて爆発させるように走って解消していたので、車もとげとげしい感じがしましたし、実際、すごくよく壊れました。
創業当時に乗っていた初期型GTIは、こき使ったし、僕の毒をぜんぶ受け止めさせてしまっていた気がして、今にして思うと悪いことしたな・・・と感じます。すごくかわいいやつでした。
最近は、どちらかというとストレスをぶつけるように走るというよりは、脱力してそのストレスを溶かすように走るようになっているので、ABTにしてもムラサキにしても、なんだか車もいつも楽しそうに一緒に走ってくれますし、変な壊れ方は全然しなくなりました。
あ、ちなみにこういう話は、きちんとメンテナンスが行き届いている前提の上での話ですよ!
ぼろぼろな状態で乗っているくせに、俺はこいつに愛情かけてるんだ、っていう気合だけで車が壊れなくなるとかそういう精神論ではありませんので念のため(^^;;
そういう関係は、詭弁にも近いもので、愛車に本当に愛情をかけているとはいえないし(自分自身をだます行為にも似ています)、自分の体と心に感謝している人からは出てこない発想だと思います。
あ、そうそう。これだけのメンテナンスで、よくこの車トラブルなく走ってるなー、という車のオーナーさんの場合、大体自分のメンテが行き届いていないのに車がしっかり走ってくれていることを理解していて、そんな自分の愛車にすごく優しいというか、感謝に気持ちがあるんだろうな、という人が多いです。というかみんなそうかな。
愛車に何か起きたときは、ひょっとしたら、自分自身を見つめなおすと、何か得られるものがあるかもしれません。
そんなきっかけになれば、きっと愛車も、クルマ冥利に尽きると思います。

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