もう、帰ってきてから一週間以上たっているのですが(汗)
報告しますと前にブログで書いてしまったので、何かレポートしなきゃ、と気にはなってまして(^^;;
旅行記のように面白いものを書こうかと思っていたのですがそういう文章をひねり出せそうにないので、面白い文章にはできませんが、今回の石垣島で一番強く自分の中で得たことをまじめにご報告しようと思います。
今回集まっていた方々は、お子さんに会社をゆずろうとしている人や、先代社長から会社を引きついだばかりの新社長が多く、自然と事業継承にからむ話が多く出ました。
僕は自分で会社も店もはじめていますし、年齢も若いので全く関係ない話だな、とは思っていましたが、以前から、創業オーナー社長と2代目社長は、属性が違うというか、それぞれに傾向があって、僕は創業社長なのですがどちらかというと属性的には2代目的な傾向が強く、自分のことを「創業者だけど2代目的なキャラで、両方のおいしいとこどりでラッキーなのかも」という程度に思っていました。
ですが、石垣島にいる数日間でゆっくり自分のこれまでと、これからのことを考えて、ふと気がついたのは、
「自分は本当は2代目なんだ」
ということでした。
自分でイチから会社はじめて、自分の好きなことを仕事にして、なんだかんだでここまでうまくいっていますが、すべて自分で作り上げたという思いあがりが内心出てくるときもあれば、自分の勝手ではじめた店が、なんだか自分の器量を超えた存在になっているように思えて内心無性に不安になるときもありました。いつも等身大でいたい、と思いながらも、その気持ちと自分にとってのスピニングガレージの存在が、必ずしもイコールにならなくて、そんな自分に対して、なんて心の弱い奴なんだオレ、ってちょっと情けなくなったり。
でも、振り返ってみると、会社作る、というときにも、うちの親父は何も言わずにお金を貸してくれて、会社の作り方も自分で勉強してもわからないところや不安なところは全部親父に聞いて、開業してからも親父からは口を出してくることはありませんでしたが、いつも必要なときは店を手伝ってくれて、「俺から教えることはしない。何か聞きたいことがあったら、聞いてこい」と言って結局10年以上近くにいてくれています。
店の仕事が広がって一人じゃやりきれなくなって、融資を受けようというときにも、親父は商工会議所を紹介してくれて、「あぁ、田中さんの息子さんね」と話がすんなり進みました。自分で確定申告がやりきれなくなったときも、税理士の直江さんを紹介してくれたのは親父ですし、銀行にしてもどこでも、僕一人の力でできないことは、いつも親父の紹介で行ってみると、地元の町田の中では、「あぁ、田中さんの息子さん。車屋さんでがんばってるんだってね」と、暖かく接してもらうことができました。
そんな親父の存在があることは、助かるなぁ親父が多少地元で顔が広くて、くらいに思っていましたが、本当はそんな軽いものじゃない、と、他の会社の事業継承の話を聞いていて気がつきました。
確かに会社を自分で始めたけれど、その中身は、「親父が中小企業診断士としてやってきて、その会社を僕が2代目として引きつぐときに、法人化して、事業内容を転換して車屋色が濃くなり、現在に至る」という状態だったんだな、と。
親父が、もう年金暮らしだし、あんまり新しい仕事や講演も入れる気はないんだよ、と言ってきたのも、その言葉通りにとっていましたが、親父の中では、僕がしっかり経営者らしくなるまでは近くで見届けなくてはいけないから、あまり地方を講演で飛び回る気にもなれなかったのかもしれません。
みなさんの話を聞いていて、息子の経営者としての成長を待ちながら10年以上何も言わずに見守るのは、並大抵の腹のすわり方じゃない、ということも、、はじめて気がつきました。
親父の気持ちや思いを理解しようともせずに、これまで自分の好きなことを好きなようにやってきて、なんてオレは傲慢な2代目だったんだろう、と思うと、悔しく、情けなく、申し訳ない気持ちで、石垣島の最後は、一人で涙が止まりませんでした。
ゴルフ2が好き、という気持ちではじめて、ずっとやってきたこの仕事。
ずっと楽しく続いてきているのは、他のお店からうらやましがられるような、すごくいいお客さんたちに恵まれていて、僕一人ではできない仕事をばんばん実現してくれる、力のある仲間にも恵まれていて、回りの業者さんもすごく力になってくれる、そういう人たちが近くにいてくれるからだ、ということは常々思っていましたが、これからは、それに加えて、この、回りのみなさんの役に立てるように、この仕事をずっと続けていけるように、もっと普遍的な経営者としての力を、親父の持てるものを引きついで消化して、自分のものにしていかなくては、と思いました。
それと、僕を育ててくれた地元の町田にも、できる限りの恩返しができるような、会社にもしたい、とも思います。
日本唯一の専門店なんだから、立地は関係ない、どこにあっても同じだ、とは思っていましたが、おそらく僕の地元の町田だからこそ、ここまで続けてこれたんだ、ということも、今はわかります。
今はまだまだ会社としても、僕個人としても力はありませんが、将来的には、地元の役に立てるようにも、なりたいです。
これから、心を入れかえて、頑張ります!
(がらにもなく、しみったれた文章におつきあいいただき、ありがとうございます)

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