先日フェイスブックでこんな記事を二つ見まして。

 

通勤時間が22分増えた場合の幸福度の低下を相殺するためには、収入を30%増やす必要がある

Bicycle+Commuting+Rose+26+Percent+Last+Year+KJibrkzuPyFl

 

 

小室淑恵「山積する社会問題をタダで解決する、たったひとつの方法」

2012-06-30-TED-Komuro_01

 

小室さんのこの話、うちもこれ、この10年くらいずっと取り組んできてますけど、なかなか一進一退で難しいです。時間工賃で仕事する業種だとコストダウン側にはこの理論は通用しても、粗利率を大幅UPさせる手法を編み出さない限り、売上アップ側には通用しないよ、っていう人もいますけどね。

とりあえず儲かってはいないけどほぼ赤字は出さずに何とかやってきてるので、まだ悪あがきしたいです。

うちも、これだけ仕事があって、お客さんにも来ていただけているのに、資金繰りが安定しないのは、実は非常に良くないことなんじゃないか、っていうのは感じてはいるのですが。。

 

 

一方通勤時間のお話のほうは、筆者さんの発想の起点が残念なところからはじまっているようなニオイを感じさせる文ですが、そこはそこで置いておいて、内容のほうを見てみて下さい。

(幸せ度を測る基準がないので、脱お金な幸せ度を説明するためにお金に換算して解説するのが手っ取り早いというジレンマ?・・・・・・でもそこを”残念”と言って斬ってしまうと、他に筆者さんが伝えたい内容を広く伝える方法がないような気もするのでこれは致し方ないのか)

 

とりあえず僕の場合は、通勤時間が25分増えて収入が2割減ったけど、幸福度はかなり上がってます(笑)。1年半前(店の移転前)の生活に戻ろうとは思えないなぁ。

 

 

ワークライフバランスって言いますけど、僕の個人的な感覚だと、バランスさせるものじゃなくて一体なものだと思うんです。バランスさせることにフォーカスすると、その考え方のスタート地点が”ワークとライフは二項対立概念である”という前提条件の上に成り立つもの、って深層心理に刷り込んでしまう気がするんですよね。そうすると、本来両立するものなのに、両立できない思考のループに陥ってしまうというか。

 

これって、クルマが壊れる壊れないの話とおんなじですね。壊れるか壊れないかというその時点での結果を二項対立的に捉えるのではなく、いかに愛車を大事に乗って、いい状態で維持してあげるかなんですよ、というのと同じことで。

一台のクルマに長く乗っていると、トラブルの出た時期と出なかった時期があったなー、ということは振り返ればわかります。でも、短い期間そのクルマに乗っていたオーナーさんの場合、その間にたくさん壊れると、そのクルマは”壊れるクルマ”という印象になり、逆にその短い期間で全く壊れて止まったりしなければ、仮にその人が宿題をためまくって次のオーナーさんがその後苦労していたとしても、そのオーナーさんはそんなことを知る由もないので”壊れないクルマ”という印象になります。

その車種が壊れるか壊れないか、という話はあくまでも「傾向と対策」としては有効ですが、一個人と一台の組み合わせの中で壊れるか壊れないか、という話をするとそれはあくまでも、主観的な「感想」にしかなりません。

そして”壊れる/壊れない”という二項対立を軸にそのクルマを見てしまうと、そのネガティブ面に思考がフォーカスしてしまうことになり、結果として愛車との一体感が生まれにくくなってしまいます。そこにフォーカスするよりも、クルマに愛情をもって接してあげる、何か変調があったらすぐに気付いてあげる、というプロセスを地道に経ていったほうが、後々振り返ってみると、「あぁ、気づいてみると全然壊れないクルマだったなぁ」という結果につながりやすいものです。

 

 

ワークライフバランスも、二項をバランスさせることを最終的な目標としているわけではなく、どちらも犠牲にせずに大切にしていくプロセスの中にこそ、もっとも重要なことが詰まっていると思うんです。

同じくクルマに関しても、壊れずに乗ることを最終的な目標とするわけではなく、クルマを大切に、そして”そのクルマのことが大好きな自分自身”も大切にしていくプロセスの中で、よりクルマが活き、乗り手も輝くと、僕は信じています。

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