ちょっと前に読んだ本ですが、参院選が終わってみて、この本に書いてあった通りになりつつあるな、ということを感じて今日また読み返してみました。
あ、あと、僕がちょっと前にこのブログで「年収150万円で僕らは自由に生きていく」という本をご紹介させていただいたとき、あの手の本だとなぜか論理ではなく感情のスイッチが入って、僕がなんでいいと思ったのか伝わらなくなってしまう人がいるんだなぁ、と思いましたが、そんな人にはこの本を読んでみてほしいです。
立場も切り口も意見も違う人からかかれていますが、僕の中では同じことが語られていると思っています。年収150~を論拠が乏しいから、と思ってしまう人はこちらをお読みいただければ、すでに権威づけされた状態で発行されている本なので、余計な感情スイッチが入らずに読み進めることができるでしょう。

いくつか印象に残ったフレーズを引用しますね。順不同で切り貼りなので筆者さんのイメージとちょっと外れてしまってたらごめんなさい。
「資本主義とは永遠の経済成長という非合理な宿命を強迫のように背負わされた宗教だ」
「そして、資本主義はただの宗教ではない・・・救済も、贖罪も、破門も資本主義にはない。何者にも邪魔されずに、その信仰を延々と保つことのできる絶対的な文化というレベルの宗教だ」
「国家とは本来、主権があるはずなのに、その国のクレジットが財政という言葉で評価される。これもまた、資本主義の宗教的な性質、非合理性を示す一つの特徴だ」
「過去100年、民主主義国家では有権者はより多くの分配を公約してくれる政治勢力に投票するという約束事があった。・・・だがこうした交換はいまはもう難しい。政府はもう前ほど何かを国民に与えることができなくなった。だから民主主義のあり方は変わらざるを得ない」
「実際、マイナス成長の時代、資源が減り続ける時代にこそ政治が必要になってくる」
「民主主義のモデルは互いの信頼関係の上に成り立つが、過去20年ほどで、この信頼関係はかなり弱くなった。だから、個人主義対国家の問題というよりも、民主主義が築いた基礎にある信頼関係が危うくなっているということだ。」
「集団の思想や信条を他者に押し付けると、最終的には個人間の対立が生まれ暴力になるのではないか・・・本に書いてあることや、誰かに教えられたこと、つまり、イデオロギーのようなものを政治活動という形に変え、それをよく理解していない人々に教唆する、そういう手法には限界があるのではないか」
「ウェブで流行っている『集団の知』という考え方・・・かつてはリーダーの考えに皆が同意したけど、いまは、一つの思想、運動のあり方もグループの参加者が無作為に編み出すから、一人一人が代表のようでいて、代表でないという形になる」
「いずれ、この表層的な物質文化を打ち破ろうとする時代が必ず来る」
「人間関係がすべてのことの基本だと思う。それが世界レベルで起きれば、その関係性が世界を変えていくと思う」
資本主義のその先へのパラダイムシフトは、革命のような暴力的な形になると説くかたも多いですが、筆者はそうは思わない、と書いています。
「私たちはもうとっくにそれに気づいているのではないだろうか。意識では気づかなくても、少なくとも私たちの無意識、『社会の無意識』は気づいているのではないか。扉はいずれ開くと」
その扉が、参院選で僕らにも見えたと思うんです。
さて、どうやって、その先に進みましょうか??(^^;;

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