ちょっとここ数日、「お金」って何だろう、って、改めて考えることが多くて(笑)
ちょうど今日でうちの店が年度変わりだったり、個人的に貯金することの意味を考えてみたり、ローンの金利と将来的な物価変動がこれからどうなんだろうなんて考えたり、常連さんが転職・引越した話や、家を買う話を連続して聞いたりetc…
たとえば、お店とお客さんだと、お金払う人がどうしても偉い感じに扱われるものですが、この感覚が僕は昔からどうもしっくりこないです。
だから、「お客様は神様です」なんて、全然思ってません。(商売人としてあるまじきことなのかもしれませんが、僕はお客さんは神様としてではなく人として大切にするものだと思っていますので。神様だったら、こっちの都合で理不尽なお願い事も勝手にしたりとか、勝手なご利益を期待したりとかしてしまうでしょ?(^^;;)
僕の場合、店のお客さんとは結局お金は介在してしまうのですが、お金なしでもおつきあいしたいと思えるようなお客さんとだけつきあいたいと思っていて、実際その通りになっています。また僕が消費者としてどこかのお客さんになるときも、「お客様は神様」的な扱いをうけるのはすごく居心地悪いです。
すみません、なんだかうまい例えになっていないのですが、そもそも人間は一人で生きてはいけないので、社会生活を営んでいるわけで、その中で、自分にできないことを人にやってもらうことが、仕事なわけで、それは本来助け合いだったり、分業だったりするわけですよね。それが、お金を介在することで、とたんに対立の概念、何かを奪い合うようなやりとりの概念に切り替わってしまいがちです。
お金って、そもそも何かとトレードオフなものなので、それは仕方がないことなのかもしれませんが。。
でも、お金はもちろん、お金そのものに価値があるわけではなく、単にそのモノやサービスをやりとりするにあたり、「それが大体同じくらいの価値だね」って確認するための単位にすぎないですよね。
だから、その価値をお互いに合意のとれる状態ではかることができれば、うちの店の商品やサービスの対価は、必ずしもお金でなくてもいいのかな、という風にも思います。
うまく形にして表現するところにはまだ至りませんが、それがうまく表現できれば、資本主義経済が意味をなさない世の中になっても、あるいは、貨幣経済の外で暮らしたいなんて思ったとしても、スピニングガレージが「VWゴルフ2好きの人生が楽しくなるお店」としてあり続けることが、できるんじゃないかなーなんて、思ったりします。
それを実現するには、まずは食うに困らないように、半自給自足生活とかを目指してみるか・・・ちょうどうちの店、農学部出身が3人いるし、シェフもいるからなぁ(^^)
で、農機具の修理は自分たちでやって(笑)
まぁ、結局いつもの下らない妄想トークなんですが(汗)
なんとなく、人間の活動全てをお金に一度換算すると、そこで換算することそのものに起因するロスというか、価値の流失というか、そんなものがあるような気がしてならないっす。

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