経営の理想論と経済的合理性は、両立できないものなんでしょうかねー?
2014.11.20アップル社と、島野製作所とのトラブルのこんなニュースを拝見しまして。
これは代表的かつ極端な例かもしれないですけど、こういう”すごい”と言われる会社ほど、裏で誰かを泣かせてる構造ってありがちですよね。
そういうのが嫌だなぁと思ってるから、僕は経営者としての成長がないのかもしれませんが( ´Д`)y━・~~
あ、今、銀行さんとかに見せる経営計画書を作ってるところなんですが、心にもないこと書くのが苦手なので全然進まないんですよー。
嘘はつかずにいきたいし、ちゃんと自分の言葉で、資本主義的な価値観の中でも理解してもらえるような説明をひねり出したいのです。
要は好きな仕事を一生続けてみんなハッピーになれるあり方を模索し続けるのが僕にとっての経営だってことを伝えたいんですけど、経済的合理性の見地から斬っていくと、それって理想論の絵空事で何の裏付けもないじゃんということになるそうで。
でも、日々経済的に勝つことに注力して、この記事のケースみたいに会社同士でこんな訴訟やらなきゃいけない関係にまでなってしまうようなリスクを抱えるよりは、適当にのらりくらりと長続きさせる経営スタイルのほうが、結局長い目で見たら融資先として健全である、ってことにはならないもんなのかなぁ??
お金ってあって困るものではないので、あともう少しあったら安心、あともう少しあったら安心…っていう無間サイクルにはまりますよね。でもお金ってそれ自体には価値は全くないものなので、そこにとらわれるよりかは、せっかくこの世に生まれてきたことをもっと満喫できたらいいなと思うわけです。
二律背反と言われると、そうはならずに両立させる方法を探したくなるのが僕の性分なので、これも僕のこの世でのテーマのうちの一つなんだろうなぁと、勝手に思っています。