流石僕のライバルw(言ってるのは僕のほうだけだけど)、似たようなことを考えてたりするんだなー、としみじみ。

これって、そこそこ長く同じ仕事を続けていて、そこそこの結果を出し続けている人が陥りがちな状況ですよね。超共感!

僕も、こんな中をあっちに傾いたと思えば、今度はこっちに傾いて・・・と悪戦苦闘している・・・つもりです。でも周りから見たら、いつも同じことをずっとやり続けているようにしか見えないのかもしれないけど。

 

うーん歌を唄いたい。

僕の中にも、まだまだ自分の表現の幅は、残されているんだろうかと思うと、何にしてもやってみたいと思う、今日このごろ。

 

 

椎名 純平

音楽家の個性なんてのは、そうそう自分自身で自覚的に扱えるものではないと思っている。どこかで聞いたような歌詞やフレーズをかき集め、尊敬するシンガーの歌い方をちょいと拝借…そんな、パクリともつかぬ怪しいキャラクターの箇条書きを個性とは呼べまい。かといって「ぼくが歌えばそれはぼくなんだ」的開き直りはもっての他だ。

個性ってのはそういうものじゃなく、もっと身体の奥からのもの…内臓のヒダさえ触れそうな歌唱とか、脳みそのシワが見えるような楽曲とか…つまり、止むに止まれぬ全裸というようなものだ。自分のことを分かってもらいたくて、どうしてもやむを得ず裸になってしまったその姿が、運が良ければエンターテイメントになったりする…というのが表現の実情だと思う。

もちろん裸がエンターテイメントになることは極めて稀である。だから、自分の裸がエンターテイメントになると思いこめることがこの世界に生きる資格その1だ。

そしてもちろん裸にはさほど個性がない。
際立つのは差異。それは往々にして自分では欠点と思うところだったりする…他人と較べて毛が濃い、とか、右足が曲がっている、とか…。そういう欠点をも個性として迷いなく表現できることが資格その2。

…なんてことを考えながら自分のことを省みると、なんか最近小さくまとまろうとしているなぁと思う。特に歌に関して、無難にポイントを取って判定勝ちを狙うような浅ましさがいつの間にか身についている気がする。勝ち負けが重要な競技において小賢しさはときに必要だが、だがしかしそんな姿勢はエンターテイメントとは食い合わせが悪い。

ランナーもいないのにセットポジションで投げたりしないで、ワインドアップで大きく振りかぶって行くべきだ、打たれたら打たれたでその時考えればいい…そんなことを改めて思うここ数日だ。ひとりきりのレコーディングも悪くない。

HOTLINE

ピット直通電話
出られないときもあります

モバイル
ナカニシ、ヒシカワ
コバヤシ、コイソ